操体。今までのやり方では間に合わない。

例えば、不定愁訴

不定愁訴、というか自律神経失調症が増えているという。
病院を訪れる患者様の70%以上がそうである、という話を聞く。

マドリッドの日西指圧学院の小野田茂先生は、Aze Shiatsuというものを
考案されている。

一昨年、昨年マドリッドの「Sotai Forum Madrid」に参加した際、
うかがったのだが、「今までのやり方では間に合わない」とのことだった。

昔は「押せ押せ~」のような感じでやっておられたのだそうだが、
今は押すというよりも柔らかい、軽擦(けいさつ)のようなものになっているという。

陽の時代から陰の時代にはいって、そろそろ70年、本格的な陰の時代を迎え、
更に、21世紀(女性性を象徴する時代)に入り、人間のからだも変化している
ようだ。(1945年に、長い武士が支配する時代『陽』の時代が終わった)

精神疾患が増えている(増えているというか、顕在化したのだろうか?)のも
事実である。自立神経失調症にも関係してくる。

正體術(操体の源流)に、橋本敬三先生が出逢ったのは昭和6年と聞いている。

三浦先生が温古堂に内弟子として入った頃は、正體術そのものだったと
聞いている。

その後、昭和50年代、橋本先生は「楽と快は違う」「きもちよさでよくなる」
と、楽(な動き)から、快(的感覚)へのシフトチェンジをあきらかにされた。

クライアントのからだが変化しているのだから、操体の診断・分析法が変わっても
おかしいことはない。
ましてや、橋本敬三医師ご自身が「楽と快は違う」と明言していらっしゃるのだから
尚更だ。

操体実践者の方々、特に古い方々からは
「第一分析、第二分析とか、操体が難しくなっている」という声を聞くことがある。

考えてみてほしい。
患者様のからだが変わってきているのだから、分析法が変わるのは当然だし、
診断・分析法が増えるということは、患者様にもメリットがあるのだ。

それを、自分の勉強不足で「最近の操体は難しくなっている」というのは
一体どうなのだろう。

難しいと言わずに、謙虚に勉強する意志はないのだろうか。

面白いことに、このようなことを言う先生方は「操体はあまり効かなくなってきた」と、
他の療法に走るケースがある。

からだは「きもちよさ」を要求しているのに、「楽な動き」を提供しているのだから、
効果が出ないのは当然と言えば当然だ。

また、ここでは書かないが、長年操体をやっていながら、
「楽(な動き)と快(適感覚)」の違いが分かっていないことがある。

また、私達は、うちうちやプロ向けには「第一分析」「第二分析」あるいは
「膝関節腋窩挙上」というような言葉を使うが、クライアントには使わない。