2026年3月

2025年は、今昭宏先生、三浦寛先生という、私の先輩であり師匠であり、一緒に「操体法 生かされし救いの生命観」を執筆した先輩方が、橋本敬三先生のいらっしゃる祖神の里へ帰られました。

この記事を書いてからかなり時間が経っており、故人となった方もいらっしゃいますので、多少手直し致しました。

橋本敬三先生にはじまる、操体関係者の相関図を作成中です。
というのは、橋本敬三先生は定例講習をされていたとか、ごく一部を除いては、内弟子をとられていなかったからです。

操体がブレイクした昭和50年代は、日本中から医者に見放されたような患者さんや、操体に興味を持つ専門家が仙台温古堂に集まったそうです。とにかく色々な人が集まり、橋本先生に会いに来られたという事実があり、そういう人達から「橋本先生から操体を習った」という話を聞きます。

橋本先生の著書にも書いてありますが、橋本先生はある人達を「温古堂ファン」と定義しています。
勿論ファンは必要ですし、そういう方からアドバイスをもらったりする場合もあり、大切にされていたようです。

以前、私はスペインの方とメールのやりとりをしていましたが、会ったこともないその人から、「私は先生の弟子です」と言われ、「私は指圧と操体の治療院をやっていますが、貴女の名前を屋号につけました」という連絡をもらって驚いたことがあります。
私でさえこんなことがあるのだから、橋本先生にもそういうことがあってもおかしくありません。

また、私の師匠である三浦寛先生は、橋本敬三先生の内弟子(橋本先生と奥様の寝室にまで入ることを許されていたそうです)ですが、23歳の時、橋本先生から「東京に行け」と言われ、7年間臨床を積み、30歳の時に操体の講習を始めました。これは今だに続く「操体法東京研究会」です。
橋本先生はこの研究会の顧問でもありました。

これは快療法の瓜生良介氏(故人)と、連動操体法の根本良一先生(故人)から直接聞いた話ですが、仙台に橋本先生を尋ね「操体を習いたい」とお願いしたところ、「東京に弟子の三浦がいるから、三浦に習え」と言われ、操体法東京研究会の定例講習を受けたそうです。
宴席で瓜生氏は「本当は橋本敬三先生に習いたかった」とおっしゃっていたのが印象に残っています。

この他、滝津弥一郎氏(故)、石井康智先生、奈良操体の会の北村翰男先生、長野の白澤誓三先生(故人)は、三浦先生の講習を受けて(あるいは受ける前に)仙台の温古堂に出入りされていたという話を聞いています。

仙台の今昭宏先生(故人)は、同時期に操体法東京研究会の定例講習を受けていて、三浦先生の推薦で、橋本先生の代診として温古堂勤務に至ったそうです。

なお、橋本敬三先生が「温古堂ファン」と本に書かれている茂貫雅崇氏、佐藤武氏(故人)ですが、「右大臣」「左大臣」と呼ばれていたと聞いています。
私は両方にお会いしたことがありますが、茂貫氏は会社員時代、交通事故でムチ打ちになり、何をやっても治らなかったのに、温古堂で橋本先生の治療を受けて劇的な治癒を目の当たりにして、手技療法の道に入ったと聞きました。カメラや録音に詳しいので、橋本先生の講習の撮影などをお手伝いされていたようです。

佐藤武氏ですが、仙台のスポーツクラブの社長さんで、橋本先生には非常に尽力して下さったようです。
亡くなる少し前、サトウサンペイさんとの共著で『操体法入門』という本を出されましたが、その中に操体としては、決定的なミスがありました。
誤植などというものではなく、両手正面合掌で上肢を回旋させる場合に、回旋させるほうの足に体重がかかる、というイラストがありました。

この他にも幾つか指摘点があったのですが、それを三浦先生と私が出版社に伝えたところ、非常に怒られたという話を聞きました。その後、本の内容は改正されることなく佐藤氏は急逝されました。
この本は多分改定されることはないと思います。

ちなみに、私が最初に操体を習ったのは、K先生です。私は1999年に本を出すまでK先生が一体誰から操体を習ったのか知りませんでした。習った内容から言って、根本先生の連動操体に似ているような気もしていました。その後、K先生からT氏(故人)の講習を受けた聞きました。

T氏は、三浦先生の講習を受けていたと三浦先生から聞いていたのですが、T氏は「三浦の受講生ではなく橋本敬三の直弟子である」と言っており、冊子などを作って受講生に配っていたと聞きました。
(認識的には、私は三浦先生の受講生の受講生から操体を習ったことになります)

後にK先生から連絡があり、T氏は三浦先生の受講生ではないと言っており、故人の言ったことを今更掘り起こすのもということになりました。

なお、2013年5月に亡くなった操体道普及友の会の中川重雄先生は、関西地方で多くの支部を設立し、一般の方の健康増進法として操体を「操体道」として普及活動をなさっていましたが、先日、お弟子さんが書いた追悼文を見つけました。

大阪生まれ。市立実務学校卒業。技術軍曹で終戦。三菱重工神戸造船所に入社。独学で創造学を学び、科学技術長官賞などを受賞。自身の肝臓病を食事療法と民間療法で克服。59歳で操体法と出会う。橋本敬三先生の紹介で北田洋三先生に師事。操体技術の実践研究を始め、操体道普及友の会発足

北田洋三先生は、関西操体ネットワークの代表であり、仙台の温古堂に通っておられたそうです。三浦先生の講習は受講されていないそうです(三浦先生に直接確認)。

関西ネットワークの他の先生は、操体法東京研究会の講習を受けておられますが、北田先生はショートカットで大阪に操体を伝え、中川先生に伝わり、健康体操、養生法として神戸から関西、中部になど西日本全域に広がったのだということがわかります。

(つづく)